令和五年五月二十九日・三十日、『堺本山妙國寺と能勢妙見山参拝の旅』と題し、東京都北部護法団参(参加者四十八名)が実施されました。
一日目、雨模様の中、東京駅八重洲北口改札付近に集合し、東京駅より東海道新幹線にて出発した一行は、京都駅よりバスに乗り換え、昼食会場である嵐山良彌にて結団式を行った。荒居稔宣宗務所所長より、今団参の参加御礼の御挨拶が述べられた。
昼食を済ませ、嵐山渡月橋付近を散策。嵯峨駅から亀岡駅までをトロッコ列車で移動し、保津川渓谷の景観を楽しんだ。
亀岡駅よりまたバスに乗り、一行は、濃い霧が幻想的な景観の能勢妙見山へ参拝し、御開帳法要を厳修した。法要後には、真如寺御山主植田観樹僧正より御縁起を拝聴した。江戸初期の領主・能勢頼次の帰依を受けた日乾上人(後の身延山久遠寺二十一世)は、妙見大菩薩を自らを彫刻して授与した。頼次は妙見山の山頂に妙見堂を建立し祀ったことから今日の「妙見山」と呼ばれるようになり、頼次は開基となった。最後に、境外仏堂である開運殿妙見堂を参拝した。
妙見山を参拝した一行はその後、夕刻にホテル日航大阪に到着。本年も感染症予防の為に個室の宿泊を採用し、夕食は会食スタイルとなった。落語家の柳家我太楼師匠よりクイズ大会を催し頂き、今団参に華を添えて頂いた。
二日目、一行は百舌鳥古墳群ビジターセンターを訪れ、8K空撮映像やデジタル映像にて、世界遺産である百舌鳥・古市古墳群の雄大さや堺の歴史文化を体感した。
代表的な仁徳天皇陵を見学後、堺市にある本山妙國寺を参拝し御開帳法要を厳修した。法要中、関西地方独特の読経に参加檀信徒は少々驚き、法要後、岡部日聡猊下より御縁起を拝聴した。
永禄五(1562)年、三好実休公より寄進を受け、佛心院日珖上人が開山。寺号は日珖上人の師である日祝上人の院号「妙國院」より付けられた。日珖上人の父である堺の豪商・油屋常言と兄常祐の外護により、境内に堂伽藍を建立。元和元(1615)年の大阪夏の陣の兵火や昭和二十年の戦火で、二度堂宇を焼失するも復興している。境内には織田信長に縁ある、樹齢1100年を超える国指定天然記念物「大蘇鉄」が生育しており、客殿より大蘇鉄を中心とした枯山水の庭園と、妙國寺宝物館を拝観した。また、本堂にて解団式を行い、冠哲史伝道事務長より今団参の総括を頂戴した。
その後一行は大阪市内に戻り、昼食会場である道頓堀千房にてお好み焼きや焼きそばを頂き、昼食後には大阪城を車窓にて眺め、新大阪駅構内にてお土産のお買い物を楽しんだ。新幹線にて東京駅へ出発。無事の到着を以て全行程を終了した。