このたびの大地震とそれに続く津波により被災を受けられたすべての皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族や関係者の皆様に衷心よりお悔やみ申し上げます。
被災地では、未だ安否不明の方が多数おられます。その方々がご無事であることと、
一刻も早く再会できることを心よりご祈念申し上げます。
2012年03月10日
このたびの大地震とそれに続く津波により被災を受けられたすべての皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族や関係者の皆様に衷心よりお悔やみ申し上げます。
被災地では、未だ安否不明の方が多数おられます。その方々がご無事であることと、
一刻も早く再会できることを心よりご祈念申し上げます。
2012年03月10日
日蓮宗国際協力基金では、去る3月11日に発生いたしました「東日本大震災」における被災地域救援のため、緊急募金を開始いたします。
この募金は、NPO、NGO、市民団体を通じ、被災者の救援や被災地域の復興のために活用させていただきます。
ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。
なお、詳細は
「日蓮宗ポータルサイト」
をご覧ください。
2013年02月25日
平成24年12月10日、11日の2日間 東京都北部宗務所の呼びかけにより所長はじめ管内有志が慰霊参拝で宮城県を訪れた。
まず、石巻市を一望できる日和山公園へ赴き、亡くなられた被災者へ供養をささげた。
石巻霊園でも同様に供養をささげた。未だに身元不明の遺骨が多数あり、その遺品と共に保管されている現状を見せていただいた。
悲痛な面持ちで話す管理者の方の顔が印象的であった。
一刻も早く身元がわかり、家族の方に迎えられることを祈ると共にその支援を続けていかねばならないと感じた。
続いて大川小学校、雄勝病院を訪れ、供養をささげた。
当日は天候に恵まれていたものの、海が近いためか非常に強い風が吹き荒れ、震災当時の厳しい環境の一面を感じ取ることができた。
また震災から2年経とうとしているが、道路は復旧しつつあるものの人が非常に少ないという印象を受けた。
2日目の11日は先ず、津波により大きな被害を受けた名取市の市長に面会し、貴重なお時間を割いて頂き、復興の現状に関するお話を伺った。
復興が遅々として進まないのは、人がその土地に戻らないということが大きい点であるそうだ。
肉倉宗務担当事務長が、檀信徒より集められた支援金をお渡しし、市長から感謝のお言葉を頂戴した。
仙台市に戻る途中、市長とのお話に挙がった名取市閖上(ゆりあげ)地区を散策し、また丘の上で山本師 導師の下、供養した。
付近は津波の勢いの爪痕が残り、その凄まじさを物語っていた。かろうじて残った建物にも人の気配はなく復興にはかなりの時間を要すると感じ、心を痛めた。
仙台市に戻り、本山 孝勝寺を訪ね、肉倉宗務担当事務長導師の下、お経をあげさせて頂き貫首様にお話を伺った。
今回感じたことは、震災から三回忌を迎えようとしているが未だ復興は遠く、問題は積み重ねられたままである。
同時に、本当に少しずつではあるが生活を取り戻しつつあると感じた。
もう戻らないものは沢山あるが、我々は支援を継続し、早期復興を強く祈り再訪を誓った。
※以下で動画をご覧いただけます。
2011年11月14日
平成23年11月14日 今戸 長昌寺並びに有志と共に、岩手県大槌町の蓮乗寺を訪れた。
大槌町は、町長を含め大勢の方が東日本大震災の犠牲となり亡くなられた。
この大槌町には3月27日~31日まで、日蓮宗東京都東部災害特別派遣隊が支援に行き、
復旧の手助けをした。
写真は、3月と11月を見比べられるように配置した。
瓦礫はかなり片付き復興しているように見えるが、現状は生活も侭ならない。
今回の訪問には、当時派遣隊に随行した者もおり、片付いた瓦礫に喜びながら進まない復旧を見て、複雑な思いを抱いていた。
蓮乗寺の住職は、仮設の本堂にて身元不明の御遺骨を預かり、日々亡くなられた町内の方々の御供養をされ安穏な日常になるよう祈願をされている。
なかなか進まぬ復興に胸を痛めながら、支援の継続を続けていく事を誓った。
2011年09月02日
平成23年8月2日~3日 今戸 長昌寺並びに青年会有志と共に、再び仙台と石巻を訪れた。(※前回訪問時の記事はこちら)
まず仙台市にある本山 孝勝寺を訪ね、お経をあげさせて頂き、貫首様に現状のお話を伺った。
その後、前回同様、石巻を見渡せる日和山公園で供養を捧げた。
今回感じたことは、まず臭いが無いこと。そして、道路が復旧されてきていることであった。日々地元の方、また復興支援の方々により着実に瓦礫の撤去がなされ、復興されてる様子がわかり、我々も少し安堵したが、更なる支援が必要であることは明確であった。
今回の主な目的は、長昌寺また有縁の僧侶の檀家・信者・縁者の手により書かれた
御題目を石巻市内を流れる北上川へ流し、供養することであった。
沢山の方々に書いていただいた沢山の御題目は、様々な思い・祈りを乗せ
水に溶けていった。
また今回も石巻総合体育館の前の墓地へ行き仮埋葬の現状を見てきたが、そこの御遺体の火葬は済んでおり、ご遺族も少し前へ進むきっかけが出来たのではないかと感じた。
みんなで手をとり、共に事を成せば復興は近い。と信じ、我々も継続して被災地に協力していくことを誓った。
2011年07月06日
平成23年7月6日 栃木県塩谷郡の妙顕寺様へ、管内有志5人が集まり被災状況の視察へ行った。
本堂は基礎ごと70cmも後ろへ引っ張られ、柱が傾き屋根が落ちたそうだ。
墓地は、墓石が散乱しており揺れの激しさを物語っていた。
栃木県は、被災の状況がマスコミ等にあまり出てこないので、深刻な状況は予測していなかったが、現状はかなり酷い状態であった。
住職は、この状況を皆忘れてしまうのではないか。と不安を口にし、先の見えない復興に茫然とされていた。
笑顔あふれる本堂の復興に我々も協力する事を誓い、お寺を後にした。
2011年06月29日
平成23年4月27日~28日 仙台市周辺へ足立 善立寺有志により慰霊参拝に向かった。
4月28日は、震災から49日忌となる。仙台市の本山 孝勝寺に於てお逮夜法要並びに49日忌法要が執り行われることを聞き、お寺へ向かった。
一行はお逮夜法要の時間より早く着き、仙台市周辺にある葛岡墓園へ行き御回向させて頂いた。
当日も御遺骨が届き、我々が読経中に建物内に納められた。
職員の方もお忙しい中、我々に対し真摯に対応して頂き、思いを伝える事が出来た。
夕刻となり、孝勝寺様へ向かった。
お逮夜法要は、キャンドルアーティストの方とのコラボレーションにより、幻想的な雰囲気の中執り行われた。
仏をイメージした紙の中に火を灯し、参拝者の手により裏に願い事を書いて頂き、慰霊並びに復興への思いを共にした。
翌4月28日の49日法要の前に、仙台空港周辺へ現地調査に向かった。
仙台市内は、見た目は日常を取り戻しており、いわゆる悲惨な状況ではなかったが、車で海岸へ向かうと20分もしないうちに、川に家が浮いていたり、瓦礫の山があったりと、まるでテレビで見た戦場のような風景であった。
途中、日蓮宗のお寺にも行き着き、悲惨な状況を目の当たりにしながら読経させて頂いた。
このお寺の周りも惨憺たる状況で、現地のご遺族は、亡くなった方への思いをどのようにして向け、供養して行けばよいのか、正直我々にも見当がつかなかった。
49日忌法要は、日蓮宗僧侶のみならず、仙台市仏教会の僧侶の参加もあり、ご遺族の参列も見られた。
平成23年5月12日 今戸 長昌寺並びに有縁の僧侶により、石巻市内を見渡せる日和山公園で御回向を捧げた。
当日は、献花される方・携帯電話で現状を伝えていらっしゃる方・写真を撮っていらっしゃる方等、大勢の方があった。
案内用の看板には震災前の写真が並んでいて、風光明媚な町が一瞬にして津波に流され、そこには唯々恐怖しかなかったのではないか。
写真と現実を見比べながら当時に思いを馳せると、胸を締め付けられる思いがした。
その後、石巻総合体育館の前にある土葬現場へ行き、未だ火葬を待っていらっしゃるご遺体へ祈りを捧げた。
2011年04月01日
平成23年4月1日~4月7日 東日本大震災で亡くなられた方々の御遺体を、
東京都が江戸川区の瑞江葬儀場に受け入れ、火葬が行われた。
突然起こった地震と津波により沢山の尊い命が一瞬にして断たれてしまった
北部宗務所としても、すこしでも祈りを届けたいと有志を募り、御経をあげさせていただいた。